働く意義とは?
第2稿です。
ブログを始めるにあたり、全体の構成を考えて作成を、と思ったのですが人生について書きたいと思うも頭の中が散らかっているので思ったままを書くことにしました。
いつか整理をするかもしれません。
1995年に最初の会社に入って以降、2度の転職を経ていまの会社に勤務しています。
そして2年前から海外駐在員として勤務していますが、いままで一貫して違和感を感じ続けていることがあります。
なかなか言語化できずにもやもやしていたのですが、最近気づいたことは働くことの本質的な価値を自分の中で見出していない、ということ。これが違和感の正体だと思うようになりました。
会社の業績のために働く、もちろんそれは尊いこと。でもそれを通じて自分は何を求めようとしているのかな、ということ。
もちろん住宅ローンもあるから給料が多いほうがいいし休みも取って子供たちにいろんなところに連れて行く機会も作りたい、でもそれは働くことの対価で得られるもの。
働くことのそもそもの価値は何だ?と考えたとき、ある講義で出会った言葉は社会性、でした。平たく言えば世の中に役立つこと、ということ。そしてそれを求める人がいて(いわゆるニーズですね)、それを自分でなければ提供できない、ということに価値を求めたいということ。それが働く意義なのかな、と最近思うようになりました。
世の中にはたくさんの使命感にあふれた人がいます。市井のサラリーマンだってそうでしょう。でも自分はそこまでに至っていない。
孔子は五十にして天命を知る、と言っていますが、私は遅ればせながら五十にして天命を知ろうとすることを心に決めました。