四十で惑わず、五十にして天命を知る

~海外在住 中小企業診断士&FP1級技能士MASAのブログ~

最初の会社-海外赴任(中東1回目)

第4稿です。

プラントの会社ではエンジニアとして中東に2回赴任しました。

 

いずれも建設現場での仕事です。

最初の現場は90年代半ば、確か新入社員のときだったと思います。

工期が遅れに遅れていてとにかく工事を終わらせることが必要で、まさに猫の手も借りたい、といった状況だったのだと思います。

 

通常、請負側の建設工事が遅れて施工主への引き渡しが遅れると1日いくら、という莫大な遅延損害金が発生するので計画的に工事を進める必要があります。

 

どのくらい工期遅れだったか全く記憶にないのですが、ひどく遅れていたことだけは覚えています。

当時の新入社員にはそれが自社(この場合は元請)に起因するものなのか、施工主である顧客、下請業者に起因するものなのかわかりませんでしたが、新人ながらにも現場は混乱していたことは感じることができました。

自社と顧客、あるいは下請業者との間で責任のなすりつけあいみたいな雰囲気を醸し出していたことは忘れられません。何かトラブルがあると互いに非難しあっていたように思います。特に顧客にはさすがにあまり面と向かって言えないので下請業者との間の関係は良くなかったです。

さらにひときわ辛かったのは自社内で部署間の関係が極めて悪かったことです。

ある部分の工事完了を顧客にお願いし計画していたところ、その部分を使って他の部署が他の作業をしていて顧客の確認を延期したりすることは日常茶飯事でした。互いの部署が自分の担当分野の工期をこなすことに追われていて、その周辺の作業がどうなるか考える余裕がなかったために生じた混乱でしたが、そういうことが重なり相互不信が募っていきました。

 

当時全体を見る立場になかったので混乱の真の原因はよくわからないのですが、おそらくかなり厳しい価格で受注したことで工事開始時に使える予算が少なく、あまり経営資源を最初に投入しなかったことが工期後半に響いたということではないかと推測しています。

 

 

要は「貧すれば鈍する」、という状況ではなかったのかなと思います。

理想的には充分な資源をもって、充分な工期で、充分な体制をもってことを進めるべし、ということだと思いますが、当時そういう状況を作り出せたのか、いまでは知る由もありません。

 

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Saudi Aramcoのサイトから(本文とは関係ありません)



 

 

 

 

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