2社目:転職-Uターン就職
第7稿です。
転職して地元の電機会社に通勤し始めました。
ちょうど30歳のときでした。
実家から自転車だったのですが、山や川などの自然に囲まれて風を感じながら通勤するのはとても気持ちよかったです。 しばらく都会暮らしが続いて排ガスと喧騒に少し疲れていましたから。
入社研修のときに、総務部長さんが、「皆さん(同時に入社したメンバーが数人いました)はこうして転職されて地元に戻ってこられたわけですから、ここを終(つい)のすみかとして頑張ってください」みたいなことをおっしゃっていました。
Uターン就職で両親も非常に喜んでいましたし、これを機に地元でずっと暮らそう、と心に決めていたので、総務部長さんの言葉を心の中で何度もうなずきながら聞いていました。
その後また転職することになるとは当時は思いもしませんでしたが。
配属されたのは液晶パネル製造技術を担当する部署でした。 ブラウン管が中心だったパソコンモニターやテレビが液晶に置き換わっていくだろうという読みもあり、新工場を建てることにしたのだと思います。 新工場はTFT液晶という当時最新の液晶パネルを作る工場でした。 液晶の構造を極めて簡単に言うと、向かい合った2枚のガラスの間に液晶(固体と液体の中間)状態の物質を入れて電気を通し、電気の強さで光の透過率を調節して画面を表示している部品です。液晶パネルを使っている製品は、身の回りではスマートフォン、ノートPC、モニター画面、カーナビなどいろいろありますのでかなり身近なデバイスだと思います。 興味のある方は以下もご参照ください。
https://www.j-display.com/technology/lcdbasic.html
向かい合った2枚のガラスは、スイッチの働きをするアレイ基板という半導体側と、色の3原色(赤緑青)が規則正しく配列されたカラーフィルター側(パネルと呼んでいました)に分かれ、私が配属された課はパネルを担当していました。
少しでも埃や塵が混入すると不良品になってしまうので(皆さんのPCやスマートフォンの液晶画面に埃とか入っていたら目障りですよね)クリーンルーム(以下イラストはイメージ)で製造します。
毎日クリーンルームに入り不良となったパネルを持ち帰り、事務所でパネルを分解して不良の原因を解析、またクリーンルームに入りその仮説検証の繰り返し。
この会社への転職の動機は前職の経営危機に伴って地元に戻るというものでした。仕事内容を吟味して転職したわけではなかったこともあり、どうしても自分の中では仕事を楽しい、とはとても思えませんでした。前職ではプラントの仕事にロマンとやりがいを感じて入社したという経緯もあったのでなおさらです。
そんなことを感じ始めた3か月後のある日、当時の部長から呼び出されて、営業部への異動を命じられました。
技術屋の世界から営業の世界へ。
次回以降は営業部での経験を綴りたいと思います。