競争激化の末。。
第10稿です。
私が液晶に関わるようになった2000年代前半は、日本国内でも10社以上のメーカーが乱立していました。
台湾や韓国のメーカーも台頭、見る見るうちに巨人になっていきました。
そのたった10年ほど前、私がこの会社に入社する前の1990年代、液晶業界は日本企業の独壇場だったそうです。 思い返してみれば、当時の日本は電子立国として世界を席巻していたように思います。 液晶は日本の技術が結集した高度な製品で、競合も少なく日本の液晶メーカーはこの世の春を謳歌していたと聞きます。
そこからの激変。
いかに市場環境の変化が激しいかわかります。
当時の上司はよく「液晶が徐々にコモディティ化してきた」と言っていました。つまり、極端に言うと、製造装置と部品の調達能力があれば、誰でも同じものを作れる世界に変わってしまった、ということになります。しかもたったの10年で。 こういう世界では、同じものを安く作れる人が競争力を得ることになります。 液晶ディスプレイは大きなガラスから切り出して作っていましたので、元となるガラス基板が大きければ大きいほど、大量に、かつ効率的に供給できますので(以下イラスト参照)、1枚当たりのコストを抑え、大量供給できることになります。
資金力がある会社が大きな投資をして大きなガラス基板で製造できる装置を導入して大量供給すればその会社が市場を席捲できるようになってしまった、ということになります。
その結果として価格競争が激しくなってきました。
その間に新しいトップが着任しました。 彼はコモディティから距離を置き、高付加価値分野にシフトしようという方針を打ち出していました。
経営学的な言葉で言えば、レッドオーシャン(過当競争市場)からブルーオーシャン(競合の少ない市場)へシフトする、という戦略ですね。
その一つが車載向け液晶市場でした。
これも経営学で言うと、液晶市場を○○向け、△△向け、などと市場を細分化するセグメンテーション、という手法だということを知ったのはだいぶん後のことでした。
新しいトップから直々に指示があり、この分野の専任として市場開拓を担当することになりました。 失敗だらけのダメ営業パーソンが少しずつ役に立てるようになる第一歩でした。
次回はそのあたりのお話をしたいと思います。
(当時の車載ディスプレイの一例)
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