四十で惑わず、五十にして天命を知る

~海外在住 中小企業診断士&FP1級技能士MASAのブログ~

晴天の霹靂~事業統合~

第12稿です。

2000年代半ばの話です。

車載ディスプレイ担当として少し軌道に乗り始めていました。

(前回の記事はこちら) qye04202.hatenablog.com欧州の大手自動車メーカーや大手部品メーカーとの商談も進み、少しずつですが供給実績も積み重ねられるようになってきました。

世界一品質が厳しいと言われていた日本の自動車メーカーにも拡販を進めようと思っていました。

そんなある日。

講堂に社員が集められました。

自分の誕生日でしたのでよく憶えています。

当時の社長がこう切り出しました。

「当社の液晶事業は、10月1日付で○○社と立ち上げる合弁新企業に事業譲渡することになりました」

「は?事業譲渡って??何のこと??」

言われた瞬間は全く意味がわかりませんでした。

液晶部門を外に出す、ということでした。

先方会社と作る合弁会社は先方のほうが出資比率が多かったので、買収されることになった、と理解しました。

その頃の液晶業界は台湾、韓国の巨人たちが投資合戦を繰り広げ、供給を増やし続けていました。 彼らは大型ガラス基板用の設備に多額投資をし、コスト競争力をつけ、ますます市場を席捲していました。

(ガラス基板とコストの関係は過去の記事ご参照下さい→こちら

この厳しい事業環境の中で日本各社は生き残りに必死でした。業界内では合従連衡も見られました。

でもまさか自社がそうなるとは。

ちょうどその頃、結婚を決めたばかりでした。

彼女は東京出身だったのですが(この馴れ初めの話はまた今度。)、地元のアパートを探し、東京から呼び寄せて二人で暮らし始める算段をしていた矢先でした。

当時の営業部は地元にあったのですが、営業部は合弁先の営業部と完全統合し、拠点を全て東京に集約することになりました。

10月1日の営業開始に合わせて東京転勤になり、地元で暮らす計画はそのまま流れ、東京で暮らすことになりました。

次回は合弁企業の中で感じたことをお話したいと思います。

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