地元から東京への転勤~複雑な思い
第13稿です。
新会社では、営業部が東京に拠点を集中させることにしたため、地元から東京に転勤、となりました。 (それまでの経緯は以下に記載しています) qye04202.hatenablog.com
新本社で先方会社の人たちと混ざって働き始めました。
違う企業文化を持った人と触れ合うというのは非常に新鮮でした。
会社の制度、ITインフラや、営業案件を管理するしくみは徐々に先方スタイルに変わっていきましたが、当時の自分にとっては先進的でした。
新会社は商品戦略もかなり明確だったし、何よりもみんな若くて勢いがあったような記憶があります。 各組織の長となる人々も若かったし、何よりも新会社の社長も先方会社出身の45歳という若さでした。
新会社が新しい世界を切り開いていくような、そんな雰囲気を感じていました。
でも個人としての心境は複雑でした。
そもそも、前回の転職は地元に戻ることを決意してのものでした。
(経緯は過去の記事ご参照ください)
この転職では、仕事内容はある意味二の次だったのですが、ここで改めてやりたかったことを考え始めるようになりました。
液晶製品も重要な仕事であることは間違いなかったのですが、自分の中では前職のプラント会社のように、もっと大きなことをやりたい、という思いが募り始めました。
自分の仕事に対する軸が揺らぎ始めたところに追い打ちをかけるようなことが立て続けに起きました。
ある日、何らかの案件で(具体的なことは全く記憶にないです)先方会社の人と意見が食い違ったことがありました。 なかなか折り合いがつかず、先方(確か部長さんだったと思います)がイラっと来たのか、吐き捨てるようにこう言いました。
「あなた方は買収された側の人、こっちは買収した側の人、こっちのスタイルに統一して貰わないと困る」
自分は誰かにコントロールされる側にいる、自分ではコントロールできる立場にない、ということを強烈に感じた発言でした。
こんなことも。
海外向けの営業では代理店として商社を起用することが多かったのですが、妻と何かの会話のときに待遇の話になり、自分とかなり格差があることに気づきました。妻はもともとそこにいたのである程度聞きかじっていたようです。
いろんな失敗もありましたが、それなりのこともやってきた自負もあったので、自分の価値が低く評価されているのかもしれない、と(大胆にも)思うようになりました。
あとから思うと、これらはきっかけに過ぎず、そういう見かけのことに揺らぐ程度の仕事への忠誠心だったのかもしれない、とも思います。
こうして、第2の転職に向け大きく舵をとっていくことになりました。
当時34歳でした。
次回は少し妻との出会いなどについて触れたいと思います。
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