四十で惑わず、五十にして天命を知る

~海外在住 中小企業診断士&FP1級技能士MASAのブログ~

閑話休題~社会人になるまで(1)~

第20稿です。

前回まで職歴をお話ししている途中でしたが、今回は少し社会人になる前のお話をしたいと思います。

前回の予告と異なりますがご容赦ください。

1980年代当時、私は中学生でした。

いまは小学生から英語を学ぶようですが、その頃は中学校からABCを習っていました。

確か学校の推奨でNHKの基礎英語というラジオ番組を聞き始めたように思います。 当時AMラジオから流れる英語のネイティブの音声やリズムに美しさを感じ、強烈に魅かれました。

その頃、同じNHKハングル講座も始まり(たぶん80年代後半にソウル五輪があったからだと思います)、韓流ブームが訪れる相当前でしたが、あの丸や棒で構成された幾何学的なハングル文字に憑りつかれて自分の中でのブームになっていました。

日本海側の地方都市に住んでいましたから、夜中に韓国や北朝鮮のラジオ放送がかなりきれいに受信できました。

ときにはスパイ放送(?)のようなこわい放送も。

この言語をいつか理解できるようになりたいなと思っていました。

そんな調子で言語に興味あったため、将来は外国語大学に行こうと思っていました。

少なくとも高校一年生までは。

当時は高校2年生でクラス分かれるので高校1年生のときに進路を決める必要がありました。

理系に行くか、文系に行くか、という選択です。

当然文系に行こうと思っていましたしそっちのほうが性に合っていると思っていました。

そもそも数学や理科は苦手でしたし。

ある日物理の先生が言いました。

「物理や数学のような理系科目は若いときにしか学べないから頭の柔らかいうちに学んでおいたほうがいい。理系から文系にはあとから進路変更できるが、その逆は極めて難しいよ。」

この言葉は自分の中では衝撃的でした。

文理選択の調査票には「理系」と書きました。

のちに理系に進んでみて、実際に人より理解も遅いし成績も上がらないし本当に難儀しましたし、いまでも苦手だと思っていますが、「読書百遍意おのずから通ず」、少しはわかるようにはなりました。

得意なことしかしていなかったら絶対に踏み入れなかった世界なので、それはそれで良かったのかもしれません。

自分なりのチャレンジ第一歩でした。

最近、現地の新聞にある少女のインタビュー記事に出会いました。

"I am always trying to go beyond my comfortable zone, otherwise I cannot glow" (私はいつも自分が快適だと思う範囲からはみ出すようにしている。そうしないと成長しないから)

人生はこういうことの積み重ねなのかもしれません。

次回はまた職歴の話に戻ろうと思います。

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