自分にとっての平成 (1)
第43稿です。
今まで職歴や家族、特に子供との関わりなど、自分の(苦い)歩みについて触れてきました。
この自分の歩みは時代、特に平成とともあるようにも思います。
そこでしばらく自分にとっての平成を振り返りたいと思います。
もはやいま小中学校の歴史の教科書に載るようになった出来事も多々あるとは思います。
ただここではそういう学術的な視点ではなく、その時代を生きた市井の一個人から見た視点でしばらく平成という時代をお話ししてみようと思っています。
私にとっての平成は大学受験に始まりました。
前年の昭和63年に大学を受験するも勉強不足で不合格。
地元の私立学校に専攻科という浪人生向けの予備校があり、実家から通いながら浪人生活を送っていました。
私の実家では朝はいつもダイニングでNHKラジオを流していました。
昭和64年1月7日の朝、確か6時半頃だったと思います。いつものラジオから昭和天皇ご危篤の速報が流れてきました。
昭和天皇のご様子が思わしくないのを報道で把握していましたが、このご危篤の報で家の中が一瞬緊迫したのを憶えています。
そして午前8時前に「崩御」の速報。
(恥ずかしながらこのときはじめて崩御という言葉を知ったように思います)
急いでテレビをつけると小渕官房長官(当時)による新年号「平成」の発表。
(「平成」という文字を掲げたこの記者会見はよく歴史の教科書に写真が載っている場面です。)
元号が昭和から平成に変わった瞬間でした。
いま活躍されている方々はすでに平成生まれも多くおられますが、その方々にとってはもはや歴史上の出来事なのでしょうね。
私にとっては、そしておそらく同世代の方々は一様にそうかもしれませんが、リアルタイムに起きた現実でした。
そのあとはしばらく日本全体が自粛モードになっていたように思います。
といっても田舎にいたのでテレビ、ラジオ、新聞など目に触れる報道すべてがそうだったので一層感じたのかもしれません。
そして自粛ムードの中での共通一次試験(この年が共通一次試験の最後の年、翌年から大学入試センター試験、と生まれ変わりました)、そして大学入試二次試験、を経て、平成元年4月に大学に入学しました。
あとで気づいたのですが、当時はのちにバブル経済と言われる好景気真っ只中でした。
あとで思えば入学後もその空気を感じることは多々ありました。
次回以降もしばらくこの話題を続けようと思います。
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