四十で惑わず、五十にして天命を知る

~海外在住 中小企業診断士&FP1級技能士MASAのブログ~

自分にとっての平成 (3)

第45稿です。

この数回は自分にとっての平成を直接、間接に影響があったことを中心に振り返っています。

過去の記事は以下の通りです。

qye04202.hatenablog.com

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海外でもいろんな大きな動きがありました。

平成元年6月の北京の天安門事件は日本でも連日のように報道されていました。

それ以上に衝撃的だったのは11月に東西ベルリンの壁が崩壊したこと。 当時の世界はソ連中心の社会主義国家群(東側)と米国中心の民主国家群(西側)が対立し戦火を交えない冷戦を展開していました。互いの陣営で核兵器を中心とした軍拡競争をしていましたので、思えば私は小学生くらいのときから、いつ核戦争が起きるか、と恐々としていました

ソ連ゴルバチョフ書記長が誕生しペレストロイカ(改革)が進み社会主義国家の民主化機運が高まり、ベルリンの壁崩壊後、翌年には東西ドイツ統一、米ソ間で軍縮対話、南北朝鮮の同時国連加盟、ソ連崩壊、など矢継ぎ早に緊張を緩和する動きがありました。

これで長かった冷戦が終わり平和な時代が訪れる、と一個人としてとても安堵したのを憶えています。

(冷戦後のいまの実際の世界情勢はご承知の通りでさらに混沌としていますが。)

その頃は日本企業は最高潮に活躍していた時代だと思います。

世界にMade in Japanが浸透し、日本ブランドの信頼が高まっていました。

経済規模は米国に次ぐ世界第2位の座をほしいままにしていました。

米国企業が日本企業をこぞって見習おうとしていたのもこの頃じゃないかと思います。 この頃、70年代終盤に書かれたJapan as No.1という本がベストセラーになっていたと聞きます。

経済大国としての日本の地位、日本企業の世界的な活躍、日本ブランドの向上は、日本人として非常に誇らしくもありました。

政治の世界は消費税導入の影響か野党が大躍進、自民党が下野し平成3年(1993年)夏についに政権交代が実現していました。 38年ぶりの政権交代、ということで、これまた新時代を感じる出来事でした。

好調だった日本経済が変調をきたし始めたのは平成4年(1992年)ごろのように思います。 日経平均株価が2万円を割り、少しずつ景気後退の空気が感じるようになってきました。

それでも就職活動をしていた平成5年(1993年)頃はまだ日本企業は好景気の余韻がありました。 私は技術系でしたが、学科で関西から関東地区の会社に訪問ツアーというものがあって、その際の宿泊や飲食などは全て先方の会社さんが負担してくれていたように思います。企業に訪問したり面接したりする際も企業が交通費や宿泊費などを負担してくれていたように思います。

結局その年は就職しないで大学院に行くことにしたのですが、大学院が終わり再度就職活動をする平成7年(1995年)には完全に様相が変わり、面接での交通費は最終のみ、あるいは交通費を出さない、といった形に変わっていきました。

一個人としてもバブルの終焉を感じた一件でした。

次回は自分で見たバブル崩壊以降の平成について感じたことなどをお話ししたいと思います。

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