学生時代~学問の話も④
第113稿です。
前稿では、じゃんけんの結果によって第2希望だった研究室に配属された話をしました。
これで人生が決まった、、というほど大げさなものでもないかもしれませんが、その後の人生の大きな岐路になったのかもしれません。
摺動部の摩耗を軽減するための潤滑は、機械工学の世界ではトライボロジーといって長年研究されていた分野のようです。
その工学理論を人間の体にも応用するという発想で、優れた人工関節を開発するための基礎研究でした。
生体を扱う医学部との共同研究で、学際研究という意味では画期的な取り組みだったのだろうと思います。
場所も機械工学科の本館からは遠く離れて医学部の近くに研究室を持つ少し異色の空間でした。
配属後は、大学院生の先輩に手ほどきを受けながら研究について学んでいきました。
一つ一つの実験は地道なことの連続で(当たり前ですね)、自分にとっては、それなりの想いやビジョンがないとなかなか長続きしなさそうなものばかりでした。
近くの大学の機械工学科の学生との関連論文の共同輪読会をやったりしていましたが、そこの学生達はみな優秀で、論文もかなり読み込んでおり、事象に対する洞察も鋭く、流し読みしかできなかった自分のレベルでは、能力、意識ともに太刀打ちできないな、と思っていました。
いま思えば全く研究成果に貢献していない(できない)学生でした。
いかんせん自分にはビジョンがなさ過ぎました。その中で地道な実験や論文の読込み、など、地に足のついた研究活動はとてもできそうにないと感じ始めていました。
私は1浪して大学に入学していましたので、現役で大学に入った同級生たちは1年前に卒業して既に社会に出ていました。
彼ら、彼女らに会うと、なんだか社会に出ているせいか、立ち居振る舞いも大人びて見えて、まだここに学生としているのが恥ずかしくも思えてきました。
そして、だんだん早く就職して社会に出たい、という思いを強めるようになりました。
文系の学生は数々の試験を受けて厳しい選抜に晒されていたと思いますが、私のような理系の学生は、当時まだバブル経済崩壊前夜だったこともあって企業の求人活動は極めて旺盛で、教授の推薦を貰えばどこかには行けるような状況だったと思います。
学部の先輩の伝手を辿ったり、就職情報誌についているハガキを返送するなどして(当時は4年生の学生には情報提供会社から大量の就職情報誌が下宿に送られてきていました)企業にアクセスし、研究室でのタスクの合間を縫っては企業を訪問するなど、就職活動を開始していました。
次回は、そういう状況にありながらも結局大学院に行くことにした話をしたいと思います。
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これまで複数の中小企業診断士仲間のブログを紹介していたのですが、令和2年度の中小企業診断士二次試験は昨日で終了しましたので、試験対策系のサイトの紹介はしばらく見合わせ、以下のみご紹介させて頂きます。
いつも知識をアップデートするのに参考にさせて貰っているサイトです。
hide-syaroushi-shinndannshi.hatenablog.com
ひでのつぶやきブログ-中小企業診断士と社労士のダブル資格をもつ筆者が、わかりやすい言葉でいろんな制度を中心に解説しています。中小企業診断士と社労士という2つの専門家の視点からの解説は勉強になります。