学生時代~学問の話も⑩
第119稿です。
前回は研究の合間の気分転換も兼ねて牛乳配達のアルバイトをしていたことをお話ししました。
また本業の研究の話に戻します。
修士課程2年生になりました。
修士課程というのは、正確には博士前期課程といい、それを修了すると修士号、さらに研究を究めたい人はそのまま大学に残って博士後期課程に進み、それを修了すると博士号が授与される、というしくみでした。
自分の場合は修士課程を終えたら卒業するつもりでいましたので、大学生活の集大成ということで全精力を傾けて準備をする必要がありました。
正確な提出期限がいつだったのかを憶えていないのですが、その年は帰省しないで、郵便局で年賀状配達のアルバイトをしながら修士論文の準備をすることにしました。
何とか論文を書くためのデータは集めていたつもりだったのですが、纏めている段階で自分の仮説を実証するデータがないことに気づいて慌てて実験をやり直したりしたことも幾度となくありました。
当時研究室に配属されていた4年生が非常に協力的で、アルバイトが終了したあとに夜な夜な研究室に寄ってくれて、補足データ取ったり纏めの作業を手伝ってくれたり、と論文作成をいろいろサポートしてくれたのは非常に助かりました。
それでも提出の数日前は研究室に泊まり込んで徹夜で作業していました。
当時日本コカ・コーラの出していたジョージアの赤色缶コーヒー(註 いまはもうないと思います)を買い込んで、眠気を振り払いながら論文をまとめる作業を続けていました。
「ジョージアでひとやすみ・・」という飯島直子のキャッチコピーはいまだに憶えています。
もともと中高時代から夜はあまり得意でなく、徹夜で試験対策をしたこともそれまで一度もありませんでした。
さすがに大学に入ってからは、友人と朝まで飲み明かすということはたまにありましたが、それは遊びだったからできたこと。
夜を徹して作業をする、ということはそれまでの人生では一度もなかったので、それを数晩続けてやったのはかなりつらかったです。
でも昼間の作業だけではとても終わりませんでした。相当追い詰められていたのだと思います。
徹夜して論文の品質が上がったかというとそんなことはなく、たぶん何とか形になるように仕上げた、というのが正しいと思います。
いまだったらおそらくそんな無理はできないでしょうね。
時間をかければできることについては、こうやって力技で終わらせる、というのはいま振り返ってみても一つのやり方としてありだな、と思います。
何とか仕上げて提出し、教授の前での発表も終えて論文審査に無事通過し、卒業できる運びとなりました。
次回は当時の就職活動について触れたいと思います。
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これまで複数の中小企業診断士仲間のブログを紹介していたのですが、令和2年度の中小企業診断士二次試験は終了しましたので、試験対策系のサイトの紹介はしばらく見合わせ、以下のみご紹介させて頂きます。
いつも知識をアップデートするのに参考にさせて貰っているサイトです。
hide-syaroushi-shinndannshi.hatenablog.com
ひでのつぶやきブログ-中小企業診断士と社労士のダブル資格をもつ筆者が、わかりやすい言葉でいろんな制度を中心に解説しています。中小企業診断士と社労士という2つの専門家の視点からの解説は勉強になります。