平成(初期)の就職活動②
第128稿です。
前回から平成初期の就職活動について話し始めています。
就職の時期にはいろんな迷いがありました。
みんなと同じように同じタイミングで就職する必要があるのかとも思っていました。
一方で早く社会に出たいという思いもありました。
そこでまずは大学4年の時点で就職活動をすることにしました。
できるだけ選択肢は多くあったほうがいいと思ったため、就職情報誌や先輩のつてを辿っていろんな企業を訪問しました。
理系だったので重電、機械、精密加工、自動車、二輪車、などなど製造業の技術系職種ばかりでした。
まだバブル経済の余韻があり、企業も羽振りがよかったですし、そもそも技術者の求人数もかなりあったと思います。
日本企業は80年代から世界を席巻していましたから、バブルが終わりかけた当時にあっても、今後も日本ブランドは盤石に見えたし、どこに就職しても間違いないようにも思えました。
それでも少しずつ業績に陰りが出始めていた企業と好業績を維持し続けている企業の差が、見え始めていました。
訪問した私のような学生の目にもわかるような違いだったので、実態はかなり差が出始めていたのだと思います。
特に自動車は顕著だったように思います。
そしてその後の長い年月の中で衰退し他社に吸収された企業もありましたから、冒頭の「(日本企業なら)どこに就職しても間違いない」ように見えたのは正しくない見立てだったと思います。
企業を訪問すると、そこで働く先輩たちが一様に自分の会社がいかに魅力的か、いかにやりがいがあるか、という点を強調していたのが印象的でした。一部は営業トークもあったと思いますが、殆どの方は心の底からそう思っているように見えました。
自分で選んでその道を進んでいるわけなのである意味当然なのかもしれません。
でも当時の自分には、どうもピンとこないというか、どれも心から面白いとは思えませんでした。
たぶん自分の中で軸がなく、これから何がやりたいのか、はっきり決めていなかったからだと思います。
また、機械工学科ということであまりにも裾野が広く、何にでもなれる可能性があったし(逆に何にもなれない可能性もありました)、選択肢が無数にあったように見えたのも決めきれない要因としてあったのかもしれません。
結果的には、いましかできない研究の世界をもう少し進めておくべきだ、という考えのもとで大学院に進学することを決め、辛うじて大学院入試も通過することができたことから、修士課程に進むことになりました。
いま考えると、中途半端な状況に流されて就職してしまわなくてよかったのかもしれないと思います。
人生の一つの岐路だったのかもしれません。
そして2年後にまた同じように就職活動をすることになりました。
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