国際間転勤③
第172稿です。
前回は新任国のビザがようやく取れたお話をしました。
東南アジアには約3年半いました。
それなりに長くいたので、社内外の人にはいろいろとお世話になりました。
ビザ取得の手続きを開始した頃、滞在国のコロナの状況は長らく沈静化していました。
コロナ初期は飲食店などの施設は一切営業を停止していましたが、その後の状況が安定していたため、ある時期から営業を再開しており、一定の制限はあったものの、人が集まることも可能になっていました。
そのため、勤務先では、複数の部署の人たちがいろんな送別会を計画してくれていました。
イスラムの国でしたので、アルコールを交えてのコミュニケーションはなく、送別会といっても文字通りただの食事会であっさりと終わる質素なものなのですが、それでも、仕事を離れて職場のいろんな人たちと交流できるのを楽しみにしていました。
勤務先は工場でしたが、工場を挙げての送別会も計画してくれていたようで、いろんな部署のいろんな立場の人たちと離任前にいろいろと会話できるのを楽しみにしていました。
その送別会は、市中のホテルなどの一角を借り切って行うという大々的なもので、そのイベントの中には、労いの意味を込めた贈答品も頂けるという計画も含まれていました。
事前に人事部門の人に何がほしいかを聞かれて、既に手配もして貰っていました。
また、勤務先の中だけでなく、日本他社の駐在員の方からも、送別会をして頂けるというありがたいお申し出をいただき、お宅にお邪魔するなどの機会も計画していただいていました。
さらには、送別ゴルフとして普段行った事のないゴルフ場にも案内頂く手はずになっていました。
ビザはようやく8月初頭に取得できましたので、これで落ち着いて多くの皆さんと送別会の席などで話ができる、と思っていました。
ある日の金曜日に初回の送別夕食会を市内のイタリアンレストランでなごやかに実施しました。
ところが、忘れもしないその翌日の土曜日、国内で1年ぶりの市中感染発覚が報道されました。
これで状況は一変。
即日で政府が緊急処置を発表。
国内の飲食店、スポーツ関連など人の集まる施設の営業は全面停止となりました。
その後、日を追うごとに国内の市中感染者は増え続け、状況は日に日に悪化していきました。
いろんな方々に計画して頂いて大小さまざまな送別会はすべてキャンセル、当然に送別ゴルフも実施できず、楽しみにしていた皆さんとの交流も結局行うことができませんでした。
会社が準備してくれていた送別の品(ゴルフバッグでした)は、ある日の夕方に人事部門の部屋に行って受け取り、誰にも手渡しして頂くセレモニーを経ぬまま、そっと自宅に持ち帰りました。
何ともあっけない幕切れ。
この寂しさはこれからもずっと心に残り続けるのだと思います。
次回もこの話を続けます。
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