四十で惑わず、五十にして天命を知る

~海外在住 中小企業診断士&FP1級技能士MASAのブログ~

2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

迷走

第27稿です。 まだお話をしていなかった部分がありましたので少しその部分を続けます。 前回お話しした資格取得前夜の話です。 時間関係が前後してわかりにくくすみません。 異動した部署の中でアイデンティティの危機、自分に対する危機感を感じながら日々…

資格取得へ

第26稿です。 40代半ばから危機感に苛(さいな)まれていました。 前回の投稿はこちら。 qye04202.hatenablog.com その危機感を乗り越えるための自分なりの答えが資格取得でした。 社会人としてキャリアをスタートした1990年代半ばはまだ日本企業は輝いてい…

危機感のかたまり

第25稿です。 前回の話は以下です。 qye04202.hatenablog.com 異動先の部署での役割は営業部における営業管理、部内総務、横串機能の発揮、でした。 でもいったい何をやればいいのか。 横串と言ったって部内にそんなニーズがあるのか。 各々の営業課が横との…

部署異動~アイデンティティの危機

第24稿です。 部署を異動しました。(前回の話は以下の通り) qye04202.hatenablog.com 40歳前半でした。 異動先は社内でも一、二を争う大所帯の商品部で稼ぎ頭でした。 世界に向けて商品を供給していて担当地域向けにいくつかの課に分かれていました。 それ…

営業を離れて

第23稿です。 前回はお化けの話をしたのですが(記事はこちら)、仕事についての話に戻りたいと思います。 当時は40代前半でしたが、管理者としての大きな反省(過去の記事はこちら)や失敗(過去の記事はこちら)など、この時期は試練の連続だったように思…

番外編~東南アジアの幽霊~

第22稿です。 ブログ始めてから毎日書いていたのですが、更新頻度が早すぎて話の展開に追いつかない、という声も複数頂きましたので最近少し更新ペースを落としています。 これまで過去からずっと順を追って書いてきました。 ビジネス寄りの教訓めいた堅い話…

ある失敗~ファシリテーション~

第21稿です。 仕事の話に戻します。 前回までの職歴の話は以下の通りです。 qye04202.hatenablog.com 異動先の部署にも少しずつ慣れてきたあるとき、商品の戦略を検討する会議をすることになりました。 これは、各国で商品を担当している人が本社に集結して…

閑話休題~社会人になるまで(1)~

第20稿です。 前回まで職歴をお話ししている途中でしたが、今回は少し社会人になる前のお話をしたいと思います。 前回の予告と異なりますがご容赦ください。 1980年代当時、私は中学生でした。 いまは小学生から英語を学ぶようですが、その頃は中学校からABC…

最大の反省~管理者として~

第19稿です。 異動先では大きく分けて輸出向けと国内向けのチームがありました。 私は輸出向けを統括する立場で着任しました。 統括ということは、実際にそれぞれの分野を担当する人がそれぞれいて、それを管理する立場ということです。 それまではずっと担…

激務に夢はあったか?

第18稿です。 入社してプロジェクト案件を担当していました。 輸出を担当する部署だったので、海外の拠点から引き合いが山のように来ていました。 入札という形が多く、とにかくいつも膨大な入札書類に埋もれ締め切りに追われていたように思います。 顧客か…

3社目入社~I am nobody~

第17稿です。 新しい会社で勤務を始めました。 転職までの経緯は過去の記事をご参照ください。 qye04202.hatenablog.com 初出社日に合わせて、スーツ、ネクタイ、靴、鞄を新調しました。 転職の直前に休みをとって海外を旅行したので、免税店で奮発して買っ…

2度目の転職~決断までの葛藤~

第16稿です。 私の転職先からの内定(転職に至る背景は前回記事をご覧ください)を待っている間、ふと新聞の求人広告が目につきました。 ある大手の事務職正社員の中途採用広告でした。 結婚に伴い、彼女は勤務していた会社を退職していました。 派遣事務職…

2度目の転職~再び新しい世界へ~

第15稿です。 2000年代半ば。2度目の転職を考え始めました。 この経緯は過去の記事ご参照ください。 qye04202.hatenablog.com 当時34歳でした。 転職できる限界は35歳と言われていましたので、ぎりぎりの年齢だったことになります。 転職先としていろんな方…

出逢い

第14稿です。 今日は妻との出逢いについて簡単に触れておきたいと思います。 地元の会社では液晶製品の多くを輸出していました。 輸出の際には東京の商社を起用していました。 私が営業に来た当初、輸出向け液晶を担当していましたので、日常的に商社の担当…

地元から東京への転勤~複雑な思い

第13稿です。 新会社では、営業部が東京に拠点を集中させることにしたため、地元から東京に転勤、となりました。 (それまでの経緯は以下に記載しています) qye04202.hatenablog.com 新本社で先方会社の人たちと混ざって働き始めました。 違う企業文化を持…

晴天の霹靂~事業統合~

第12稿です。 2000年代半ばの話です。 車載ディスプレイ担当として少し軌道に乗り始めていました。 (前回の記事はこちら) qye04202.hatenablog.com欧州の大手自動車メーカーや大手部品メーカーとの商談も進み、少しずつですが供給実績も積み重ねられるよう…

あるプレゼンテーションの成功~自己肯定感の回復~

第11稿です。 前回の内容はこちら。 当時のトップの指示で車載ディスプレイ営業の専任担当になりました。 まずは市場を知らないと話にならないのでマーケティングから始めることにしました。 特に当時市場が伸びるのが期待されていたのはクルマに標準装備さ…

競争激化の末。。

第10稿です。 私が液晶に関わるようになった2000年代前半は、日本国内でも10社以上のメーカーが乱立していました。 台湾や韓国のメーカーも台頭、見る見るうちに巨人になっていきました。 そのたった10年ほど前、私がこの会社に入社する前の1990年代、液晶業…

営業部で~使い物にならない?!~

第9稿です。 こうして製造技術から営業部に異動になりました。(経緯はこちら) 部員は 大柄で声の大きい部長 目つきの鋭い課長 大柄な主任の面々 事務員の皆さん という布陣。 自分がこれまで見てきた世界とはあきらかに異質。 そしてわからないことだらけ…

2社目:営業部配属に至るまで

第8稿です。 製造技術者としてUターン転職した2社目地元企業での話です。 入社3か月くらい経過したある日、部長から営業への異動を言い渡されました。 営業にはもともと興味はありました。 営業は製品やサービスだけではなく全人格を売り込む職業だ、と思っ…

2社目:転職-Uターン就職

第7稿です。 転職して地元の電機会社に通勤し始めました。 ちょうど30歳のときでした。 実家から自転車だったのですが、山や川などの自然に囲まれて風を感じながら通勤するのはとても気持ちよかったです。 しばらく都会暮らしが続いて排ガスと喧騒に少し疲れ…

経営危機そして退職

第6稿です。 1990年代後半のプラント業界は過当競争の時代でした。 外国、特に韓国の会社が急速に力をつけてきて価格競争力を武器に私のいた会社と受注合戦をしていました。 受注産業でしたから常に仕事を取らないといけません。低価格でも受注せざるを得な…

最初の会社-海外赴任(中東2回目)

第5稿です。 2度目の海外赴任も中東でした。 会社に入って数年経過した1999年でした。 世の中ではノストラダムスの大予言の年と言っていて、1999年7の月に空から恐怖の大王が降ってくる、という フレーズを今も記憶しています。 赴任は7月くらいだったので、…

最初の会社-海外赴任(中東1回目)

第4稿です。 プラントの会社ではエンジニアとして中東に2回赴任しました。 いずれも建設現場での仕事です。 最初の現場は90年代半ば、確か新入社員のときだったと思います。 工期が遅れに遅れていてとにかく工事を終わらせることが必要で、まさに猫の手も借…

最初の会社-入社

第3稿です。 ここからはしばらく簡単に職歴をご紹介したいと思います。 1990年代半ばに大学の工学部修士課程(大学時代の話は別の投稿をご参照ください)を経て社会人になりました。 当時の日本は世界第二位の経済大国でした。 世界の経済活動における日本…

働く意義とは?

第2稿です。 ブログを始めるにあたり、全体の構成を考えて作成を、と思ったのですが人生について書きたいと思うも頭の中が散らかっているので思ったままを書くことにしました。 いつか整理をするかもしれません。 1995年に最初の会社に入って以降、2度の転職…

ブログ開設にあたって

MASAです。 海外在住の会社員です。 3月に50歳になりました。 論語の有名な言葉に「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う」という一節があります。 これは人生のありようを語っている…

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