自分を受け容れる
第30稿です。
前回はプライベートな会話がずっと苦手だった話をしました。
これは40代半ばまで続いていました。
そんなあるとき、全社の長期研修に参加する機会を得ました。
全社のプログラムなので、参加者はいろんな部署から来ていました。
扱う商品も様々、したがって業界も様々、取引先との関係性も様々でした。 同じ会社に勤務する、という点以外では参加者に共通点はなく、参加者と何を話したらいいんだろう、という状態でした。
文化人類学、社会学、芸術などの講義もありましたが、講義の途中で必ずそれに対する意見を表明することになっていました。
例えば、ある二つの絵を並べて、どちらの絵が美しいと思うか、という問いに対し、意見を表明する、というように。
絶対的な答えはないので各人それぞれの回答になるし、その考えに至った思考も人それぞれで、絶対的な正解のない世界なので、参加者それぞれが自由に意見を表明していました。
そういう取り組みをしている中で、ふと気づきました。
自分は何も語ることがないと思い込んでいたが、心の中ではいろんなことを持っていたんだな、と。
これは新しい発見でした。
自分は自分でいいんだな、と思えた瞬間でした。
その当時、結婚、子供の就園、就学、転職、などいろんな大きな変化があり、多くの新しい人との接点が増えていました。
振り返ってみれば、その多くの出会いの中で、自分にはないものを持った多くの優れた人を前にして、気おくれするような部分がありました。
でも、他人は他人。もっと自分でいていいんだな、と感じるようになりました。
いままでもいろんな機会があったと思うのですが、なぜ特段この研修をきっかけにそう思ったのかは自分でもよくわかりません。
自分に自信を持つとは、自分の何かが誰かより優れている、ということのように思っていたのですが、他人との比較をすることなのではなく、自分で自分のことを受容することなんだ、と思えるようになりました。
もちろんいろんなことを学んだり人の話を聞いたり、ときには空気を読んだりすることも必要だとは思いますが、基本的には他人は他人、自分は自分、ということだ、と思ったら、途端に心が軽くなったのを憶えています。
それからは、公私ともに自分から求めて発言するようになりました。
プライベートの席でもどちらかというと場を持たせるために会話を続けるのが目的になっていた部分があったのですが、自分から会話を楽しむ、という姿勢に明確に変わりました。
その後は基本的にプライベートで会話できなくて困る、ということはなくなったように思います。
自分を取り囲んでいた壁を一つ一つ乗り越える、というのが歳を取る、ということの効用なのかもしれません。
この数回は時が行ったり来たりしてわかりにくくてすみません。
次回こそは海外赴任してからのことをお話ししようと思います。
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