四十で惑わず、五十にして天命を知る

~海外在住 中小企業診断士&FP1級技能士MASAのブログ~

最大の反省~管理者として~

第19稿です。

異動先では大きく分けて輸出向けと国内向けのチームがありました。 私は輸出向けを統括する立場で着任しました。 統括ということは、実際にそれぞれの分野を担当する人がそれぞれいて、それを管理する立場ということです。

それまではずっと担当として仕事をしていましたので、立場が変わった、ということになります。

管理というと、労働基準法での残業制限などの法令や規則を遵守を部下に求め監視するという側面みたいに見えてしまいますが、営利企業としてチームとしての業績を上げる施策を考え、実行するという事を考えなくてはいけない。

考えてみれば当然のことなのですが、当時の自分にはその意識は充分ではありませんでした

異動先は自分の過去の知見が生かせる部分もあったので関与できる部分もありましたが、その他の分野については全くの素人。部下の人に任せるしかない、という状態でした。 自分の知見ある分野でしか物事を見られておらず、積極的に新しい分野を学ぶということをできていなかったと思います。

いま思えば、未知の分野であっても、積極的に部下の人とコミュニケーションを取ってチーム内の課題を把握しそれをマネジメントし結果にどう出すかを考えなくてはいけなかったのですが、こんな当たり前のことをできていなかったんですね。

部下ともしっかり飲みに行ってくださいね、と前任者に言われていましたが、当時はその意味を充分に理解していなかったのです。

管理者としての意識や考慮すべき点など、会社はきちんと節目で研修というかたちで提示してくれていましたが、それを自分ごととして実務にどう生かすか、という視点が欠けていたように思います。

当時40歳になったばかりの頃でしたので、人生においては非常に重要な節目だったと思います。 いま振り返るとそれを無為無策に過ごしてしまった、という思いが強いです。

ではあのときどうすればよかったか。

いまはこう整理しています。

自分の役割が変わったことを認識するべきだった。

・今までの自分をリセットし、自分の役割を再定義するべきだった。

・チーム内の課題を把握し自分なりの方向性を持つべきだった。

・マネジメントの在り方についていろんな人の意見を聞くべきだった。  それ以前に自分の中で課題意識を持つべきだった。

・マネジメントに関わる本を古典、ビジネス書問わず読み自分なりのマネジメント像をイメージするべきだった。

主体的、積極的に課題意識を持ち、成果を上げるということはどういう状態なのか、どうしたら成果を上げられるのか?、という問いを自分で立てて、与えられた環境に全力で立ち向かっていけば、その中からいろんなことが見えたのかもしれない。

当時の私は自分の経験に引きずられて自分をどう生かすか、ばかりを考えてそこで何をすべきか、という観点では全く考えられていなかったこと、いまでも最大の反省です。

自分が管理者に変わった、という状況の変化に対してついていけていなかったこと。

最近ある講習で教えて貰った言葉が非常に印象的でした。

最も強い者が⽣き残るのではなく、 最も賢い者が⽣き残るのでもない。 唯⼀⽣き残るのは、変化できる者である。 ―――チャールズ・ダーウィン(※諸説あり)

ダーウィンの言葉かどうか諸説あるようですが、本質を突いている言葉だと思います。 この言葉にもっと早く出会っていればなあ、と思いますが過ぎた時を悔いても仕方ないので前向きに頑張るしかないですね。

次回ももう少しこの頃のことを振り返りたいと思います。

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