過去編のエピローグに向けて
第159稿です。
これまでブログで過去を振り返ってきました。
(これまで読んでいただきありがとうございました)
もともとは自分の苦い経験が誰かのお役に立てれば、という思いで始めたものですが、思わぬ反響をいただき、多少はお役に立てたのかもしれないと嬉しく思います。
お蔭さまで自分が何に価値を置いてきたのか、何をやろうとしてきたのか、ということについて棚卸しする機会にもなりました。
これまでの150稿あまりを通じて、思い出せる限りの失敗、苦い経験を振り返ってきました。
ここでは言及できなかった、すでに自分の中ではるか記憶の彼方にある失敗も数多くあると思います。
そしてその失敗のゆえに、自信が持てなかった時期もありました。
その時期には、自己肯定感を持てなかった、ということだと思います。
いまでも別に何の自信もあるわけではありませんが、少なくとも前よりは、自分や自分の環境を受け容れることができるようになっているものと思います。
少し前に、ある著名な書道家の方に、中小企業診断士としてZOOM取材させて頂く機会がありました。
その方は、自信なんていらない、むしろ自分に自信があると型にはまった思考になるような気がする、むしろ自信がないことで、自由な発想でいろんな新しいことにチャレンジできる、その結果、100のアイデアを創作して世に試すことができる、試した結果、批判を受けることもあるかもしれないが、1つくらいは誰かの琴線に触れることもあるはず、というようなことをおっしゃっていました。
なるほど、そういう考え方もあるのか、と納得しました。
よく考えてみれば、森羅万象に比べたら自分の存在はあまりにも小さい、そんな自分が自信を持ったところでそれは何の役にも立たないのではないか、という気にもなってきます。
過去というのは既に終わったものですものね。実はとてもちっぽけなものなのかもしれません。
先日読んだ本に、自分未来は過去に引きずられてしまう、と多くの人は考えているが、これは誤りである、未来を創る勇気がないからそういう考えに至るのである、といったようなことが書かれていました。
一言一句正確に憶えているわけではないですし、自分が理解違いをしている可能性もあり、その思考に至る心理学上の理由はあまり理解できていないのですが、少なくとも自分の過去と未来は別物である、という考え方は非常に新鮮、かつ勇気づけられました。
この考え方に基づくと、自分はいろんな失敗をしてきたけれども、未来を創るうえでは過去は全く関係ない、ということになります。
希望の持てる言葉として胸にしまっておこうと思います。
次回でこのブログでの過去を振り返るセッションは終わろうと思います。
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