四十で惑わず、五十にして天命を知る

~海外在住 中小企業診断士&FP1級技能士MASAのブログ~

激務に夢はあったか?

第18稿です。

入社してプロジェクト案件を担当していました。

輸出を担当する部署だったので、海外の拠点から引き合いが山のように来ていました。

入札という形が多く、とにかくいつも膨大な入札書類に埋もれ締め切りに追われていたように思います。

顧客から来る入札書類には、対象の製品明細、製品仕様、売買契約条件、などが含まれていて、担当者としてはそれぞれをきちんともれなく吟味する必要があります。

その上で、対応できること、できないこと、逆提案などをまとめて期限までに顧客に提出する必要がありました。

自分一人では到底回答できないので、製品のことは仕入先、売買契約条件については社内の法務部門や審査部門などの関連部にも協力をお願いし、応札書類をまとめる毎日でした。

膨大な処理をするのに部署で最後まで残っていることもざらでした。 終電には間に合わずタクシーで帰宅というのもしょっちゅうでしたし、ときには徹夜になることもありました。

これまでの人生で一番仕事場にいる時間は長かったように思います。

慣れるのに精一杯で、スキルを磨こうとか考える余裕は全くなかったけれども、膨大な入札書類をさばいたり、英文技術仕様を確認したり、売買契約書条件の詳細を詰めたり、ということを相当数こなしたことで経験値としてかなりのスキルは身についてきていたとは思います。

また、前々職のプラント会社での仕事がプロジェクトマネジメントだったので、応札に関する複数の同時進行イベントを進捗管理する際に、過去のプロジェクトマネジメント経験も生かせたとは思います。

案件をこなしているときはとにかく締め切りまでに終わらせることに精一杯でした。

でも、スキルが身についても、過去の経験が活かせても、仕事場に夜遅くまで残って応札準備をしていても、「こんなことして何になるんだろう??」という疑問がずっと心の中にあり、消せずにいました。

この仕事に社会的な意味があるとかないとかそういうことではなく、自分にとってこの仕事は何なのだろうか、ということ。

自分の選んだ道なのに「何になるんだろう?」と思うこと自体がとても不思議でした。

その疑問の正体が長い間ずっとわからずにいました。

それからいまに至るまでの自分の仕事に対する行動原理は、自分の中のこの疑問を解決する、という一点に集約されていたように思います。 それがこのブログを始めたきっかけでもあります。

(過去の記事もご参照ください) qye04202.hatenablog.com

自分が本当に何がやりたいか明確にイメージできていなかったのです。

自分がどうなることが幸せなのか、という事に対する根本的な解を持っていなかったとでも言いますか。

先日ZOOMで聞いた講演会で(オンライン時代になり、海外にいてもZOOMで日本の講演が聞けるのはとてもありがたいです)「強みを活かすことを考えるよりも、自分が何をやりたいのか、自分はどうなるのが幸せなのかを知ることが大切。」ということを講演者がおっしゃっていました。

まさにその通りだと思います。

入札に追われていた2000年代後半のある日、部長に呼ばれて異動を申し渡されました。

次回は異動先での仕事における葛藤についてお話ししたいと思います。

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