四十で惑わず、五十にして天命を知る

~海外在住 中小企業診断士&FP1級技能士MASAのブログ~

3社目入社~I am nobody~

第17稿です。

新しい会社で勤務を始めました。

転職までの経緯は過去の記事をご参照ください。 qye04202.hatenablog.com

初出社日に合わせて、スーツ、ネクタイ、靴、鞄を新調しました。

転職の直前に休みをとって海外を旅行したので、免税店で奮発して買ったものでした。

いま思えば笑えるくらいずいぶんと背伸びしていました。

配属されたのはある鉄鋼製品を輸出する部署でした。

当時35歳でしたので、新卒で入社していれば10数年のベテラン社員。 以前にいたプラント会社で鉄鋼製品を扱っていたので、業界のことはある程度はわかるものと思っていました。 ところが実際はさっぱり。 顧客の名前も、製品の種類も全くわからないし、一番困ったのが何を誰に聞いたらいいのかが全くわからないこと。

とにかくいきなり無力感

そして懇親会。

入社当日に部署の人が懇親会を開いてくれました。

でも。。自分には話すことがない。。

これは衝撃でした。自分が語るべきものを何も持っていない、ということ。 以前に自分のことを偏った人間と表現しましたが(過去の記事はこちら)興味の範囲が偏っていたせいか、周囲の人が交わす会話に対してどう反応していいかわからない。

当時は息子がまだ小さかったので息子との時間を過ごすのが何より楽しく、そのほかのことは何もしていませんでした。

当時ゴルフもしませんでしたし、テレビや映画を見たり、本を読む時間を取ったりもしていませんでした。

とにかく自分の引き出しを増やすことを何一つしていなかったのです。

仕事であれば仕事という共通テーマがありますが、懇親会となると会話のテーマは自由。 この自由というのが曲者

ある時期まで、自分にとっては懇親会の席上が苦痛で仕方のない場所でした。

のちに欧州のお客さんを訪問した際(その人はその業界ではそれなりに名を成した人でしたが)、"I am still nobody, but....."と言っていました。

自分はまだ何もなしていない人間である、ということを表現した言葉。

いまこうして過去を振り返りながら、この言葉が、当時の自分の状況を言い表すのにまさにぴったりだ、と感じています。

I am nobody.

プラント会社では材料のスペシャリストとして(この経緯は割愛しています)、電機会社では車載ディスプレイ営業担当(過去の記事はこちら)として、それなりのことはやってきたと思っていました。

でもここではそんなものは全く必要とされていない

まさにゼロからのスタート。

この I am nobodyという感覚は、考えてみればここに入社して以来、ずっと自分を悩ませてきたテーマでした。 実は今に至るまでもまだ完全には解決していません。

これについてはそのうち触れることにして、次回以降は入社以降ぶち当たったいろんな壁をつらつらとお話ししようと思います。

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