学生時代~北海道ツーリング①
第107稿です。
サイクリストからライダーに転向しました。
機械屋としてバイクが好きだったというよりも、旅の手段を変えたという感覚でした。
前々回、前回の投稿は以下の通りです。
どうしてもバイクで走ってみたかったのが北海道でした。
自転車でも2度ほど走ったことがあります。
最初は青森から青函連絡船で函館に渡り、洞爺湖、支笏湖あたりの道南を中心に有志とともに巡りました。
2度目は道北でした。4人くらいでサロベツ原野や稚内の周辺を走り、フェリーで利尻島に渡り自転車を置いて利尻山(利尻富士)に登りました。
いずれも天候にも恵まれたこともあり、絶景を目の当たりにして感動の連続ではありました(特に利尻富士から見る360度の光景は絶景でした。同行者と抱き合って感動していたように思います)が、自転車での移動だったので多くても1日100kmくらいが限界で物足りなく思っていました。
バイクという足を手に入れたので、その雪辱(?)を果たすべく(別に何かに負けたわけではないですが)、北海道行きを決行することにしました。
ある年の夏休みに大学の研究室にも休むことを伝え、定期的にやっていた牛乳配達とレストランのアルバイトを1か月休ませて貰うことにしました。
夏の日の昼下がりに出発、舞鶴港まで夕方までかけて自走し、そのままカーフェリーに乗り込み小樽に渡りました。
出発したときには特に明確な行き先も決めていませんでした。
一人用のテントを持ち歩いていましたし、キャンプ場も至るところにありました。また北海道はライダーハウスというライダー用の格安の簡易宿泊所もたくさんあったので、泊まる場所には困りませんでした。
ただキャンプ場のほうが安かったし(1泊100円~300円くらい)気楽だったのでテントを張ることのほうが多かったように思います。
北海道にいた1か月間、ほぼ全行程で天候に恵まれたのは幸運でした。
これが20数年経過したいまでもそれぞれの景色を憶えていて、北海道ツーリングにまた行きたいと思う大きな要因になっています。
1日の走行距離はだいたい300kmくらい。
朝は日の出とともに起床してそのまま朝食の支度(火器や食器もすべて持ち込んでいたので基本的には自炊でした)、コーヒーを飲みながら地図を広げて今日のコースを考えるのが至福のときでした。
出発後はコースにとらわれることなく途中で興味のある場所を見つけては寄り道をしながら走行。
ライダーやサイクリストはすれ違うと必ず互いに合図をし合うのが北海道での不文律となっていました。
知らない人同士ではありますが、互いに繋がっているような気がしてとても清々(すがすが)しい気持ちになっていたのをいまも思い出します。
(本州側ではあまりそういう習慣はなかったです)
そのころ東京・永田町では戦後初の非自民政権である細川内閣が誕生していました。
日本最北端の宗谷岬で休憩しているときに、売店の拡声器から流れてくるラジオニュースで知りました。
時代が変わりつつあることを示唆しているような気がして、強烈に憶えています。
次回もしばらくこのツーリングの話を続けます。
写真:北海道の一直線道路
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学生時代~トラベラー
第106稿です。
サイクリストからライダーに転向しました。
サイクリストからすると背任行為(?)だったかもしれません。
自分としては、ライダーになった、というよりも一人のトラベラーとして、移動の手段が変わって、自転車からバイクになった、というだけに過ぎないと思っています。
当時は、関西地方とか中部地方など、地方別に編集された1枚ものの大判地図のシリーズがあったのですが、書店でそれを買い揃えて、地図を広げながら今度の週末はどこに行こうか、と考えるのがとても楽しかったですね。
また、大手出版社がツーリングマップというライダー専用の地図を出版していました。
サイクリスト時代から使っていたのですが、路面状況や見える景色など、地図上にほしい情報が詳細に書かれていて、それを眺めながらツーリングの場面を想像するのも楽しかったです。
特に自転車と違って高速道路を使えることもあり、1日に走れる距離はそんなに気にしなくてもよかったので、(自転車だと1日に走れる距離はアップダウンを考えると最大でも70-100kmくらいだったと思います)妄想はどんどん広がっていきました。
自走でいろんなところに行ける、というのはそれだけで心を掻き立てるものがありました。
当時はガソリンも安かったし、もともとバイクは燃費もクルマと違って格段に良かったので、費用をそんなに気にせず遠出をできるのもよかったです。
とはいっても自転車とは違って、特にワインディングロードなどではそれなりにスムーズに操る技巧も必要でした。
同じようにバイク乗りだった研究室の友人に、時間があるたびに近場の山道で、コースの取り方、アクセルワークの仕方などをいろいろ手ほどきを受けていました。
選んだ中古バイクが良かったのか、割とスムーズに技巧を習得し、ほどなくしてそれなりに乗りこなしていたと思います。
それでも先輩とツーリングに出かけたときに、コース取りやアクセルワークが悪いとどやされたりして落ち込むこともありましたが。
実際の行程では、日帰りだと峠を越えて隣県まで少し足を伸ばす程度、長い休みが取れるときには住んでいた関西から信州方面まで何泊か出かけることもありました。
純粋に知らない景色を見に行くということはそれだけで心が揺さぶられるものがありましたし、何度も行っている場所でも、季節や時間帯、天候などによっても見せる表情が違っているのを肌で感じるのもまた楽しいことでした。
いまから考えるとこの活動を通じて特に何の生産もしておらず、世の中に何の価値を提供していないことに唖然としますが、自分に対するインプットの時期だったと肯定的に捉えるようにしています。
次回はソロで出かけた北海道ツーリングについて触れようと思います。
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学生時代~サイクリストからライダーへ
第105稿です。
まだ20代そこそこでしたが、耐久ランで1日で250kmの道のりを自転車で走ってみて、自分の体力と気力の限界を感じました。
以前には早朝から夜までかけて1日で琵琶湖一周(約200km)に挑戦したこともありましたので、自分の中では大きな後退でした。
体力というよりも気力の問題だったように思います。生活にも慣れてきて新鮮な驚きが少なくなってきて索漠とした思いを日々抱えていた時期だったように思います。
4年生になると研究室へ配属となりましたが、同じ研究室にいた人がバイク乗りで、彼に触発されて中型自動二輪の免許を取り、そのまま車検切れの中古400ccのロードバイクを格安で入手しました。
道路交通法上は自動車という扱いだったので、自転車とは異なり、名義変更などいろんな行政手続きがありました。
そもそもナンバープレートを取得するために車検も通す必要がありました。
機械工学科に入ったくらい機械モノは好きでしたから、できる部分の整備は自分でやって陸運局に持ち込み、車検を通した記憶があります。
ずっと自分はバイクに乗る柄でもないと勝手に思っていて(バイクというと常に尾崎豊の歌詞の中の「盗んだバイクで走り出し~」というフレーズが常に浮かんできて、不良の乗り物、みたいな印象を勝手に持っていたのかもしれません)、乗りながらしばらくは違和感を感じていましたが、学科には同じように機械モノが好きな人が多かったのでしょう、バイク乗りは多かったように思います。
趣味が高じて実際にバイクの会社に就職した人も何人かいました。
少し話が逸れましたが、バイクに乗り始めたことで行動半径が一気に広がった気がしました。
当時は純粋に楽しかったです。
いままで自転車で何時間もかけて到達していた道のりもあっという間に到達することができたので、世界観が変わったような気もしました。
長い休みのたびに、本当にいろんなところに出かけたと思います。
それはそれで楽しかったのですが、何か大切なものが足りない、と思うようになったのはバイクに乗り始めてだいぶん時間が経過したあとのことでした。それについては別の機会にお話ししようと思います。
次回以降はバイクで出かけた場所の話などをしようと思います。
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学生時代~サイクリング活動⑤フラットな組織で
第104稿です。
前回は自転車から距離を置くきっかけとなった耐久ランの話をしました。
それで一気にバイクの話を、とも思ったのですが、自分の活動の多くの時間を費やしたサイクリング部についてきちんと語っていないのは正しくないと思うので、今回だけ場所を割いてもう少しだけ話をしたいと思います。
その集団の話です。
高校のときには剣道部に属していました。
その当時は先輩は絶対的な存在でした。(いまはどうなんでしょうか)
1年先輩だってそう、2年先輩や3年先輩なんてもう雲の上、ましてや指導教官なんて自分たちの及ばない雲の上の人でした。
それが世の常識だと思っていましたので、上の人に意見するとか逆らうとか議論するなどは自分の中ではあり得ず、対等に口を利いてはいけない、とまで思っていました。
いま思うとかなり化石のような考え方にも見えますが、いまだにこういう世界は日本社会では存在するのでしょうか。
サイクリング部はかなりフラットでした。
もちろん年次は尊重するけれども、みんな割と年次に関係なく言いたいことを言っていたように思います。
考えてみれば人生の1年、2年先輩というのは長い目で見ればそんな大きい差ではないでしょうし、そもそも1浪、2浪で入学してくると上級生と年齢が逆転していることも多々あった、というのも理由かもしれません。
さらには剣道は技の世界でもあるので、経験を積んでいることも重要なことでしたが、サイクリングの世界は、特定の技があるわけでもなく、先輩だから何でも知っている、ということでもないのである意味当然でした。
厳然たる上下関係の中にいた自分にとっては(自分が必要以上に意識していた側面もあるとは思います)、このフラットな集団はかなりのカルチャーショックでした。最初はある意味居心地の悪さすら感じていました。
逆に言うと、自分が上級生になっても、年次が上というだけでは敬意の対象にならない、ということを意味します。敬意を集めるために活動するわけでないですが、集団の中で自分が存在意義を感じられるようにしておく、というのは必要なことかもしれません。
自分はどのように他の部員と差別化したらいいのだろうか、ということを考え続けていたような気がします。
のちに中小企業診断士試験を受けるにあたり、マズローの欲求段階説(※)というのを学びましたが、この中における尊重欲求を満たそうとしていたのだと思います。
(※)マズローの欲求段階説(引用元:TAC出版 スピードテキスト1 企業経営理論 2015年度版)
マズローは、人間のもつ欲求を以下に示すような低次から高次にかけての5段階でとらえている。
[1]生理的欲求(食物、水などの人間の生存にかかわる本能的欲求)
[2]安全の欲求(安全ないしは安定した状態を求め、危険を回避したいという欲求)
[3]所属と愛の欲求(集団や社会に所属、適合し、そこで他者との愛情や友情を充足したいという欲求)
[4]尊重の欲求(他者から尊敬されたい、自分が他者より優れていると認識したい欲求)
[5]自己実現の欲求(自己の向上、あるいは自己の潜在的能力を実現したい欲求)
そしてそれはいまにも繋がる欲求ですし、そういう思いが成長の原動力になるのかもしれないと思います。
だいたい思い描くようにはいかずに能力不足を嘆くのが関の山ではありますが。。
話がかなり逸れてしまいました。
学生なので勉強もしなくてはいけません。勉強や研究のことはだいぶんあとのほうで触れようと思います。
次回以降はバイク乗りになった話をしたいと思います。
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学生時代~サイクリング活動④耐久ラン
第103稿です。
前稿までは自転車で出かけたグループツアーやソロツアーについてお話ししてきました。
このほかにも長い休みを利用しては全国津々浦々に出かけていました。
それでも大きな荷物を積んで急坂を必死の思いで登坂しているそばで自家用車やバイクが追い抜いていくさまを見て、だんだん「自分は何をやっているのかな」、と思うようになってきました。たぶんそういう思いを抱いていたのは自分だけだと思います。周囲の部員はそういう時間も楽しんでいましたから。
その思いは耐久ランというイベントで決定的になりました。
これは、年に1度実施される部のイベントで、250kmくらいの行程を1日で走り切るというものでした。
早朝にスタートし、京都市内から琵琶湖の横を抜け、鈴鹿山脈を抜けてまた京都市内に戻ってくるようなルートだったと思います。
最初は真ん中あたりの順位でそれなりに気持ちよく走っていたのですが、峠道に差し掛かるたびに順位を下げていきました。
休日だったので風光明媚なこのルートには多くのライダーたちが行き交っており、横をスイスイ抜かれるたびに複雑な思いでいました。
だんだん走りながら休憩することが増えてきて、少し走ったら休み、また少し走ったらまた休み、といった状態で徐々にペースが落ちていきました。体力が消耗していた上に、気力もだいぶん萎えていたように思います。
そんな走りでしたから、京都市に戻る最後の峠道を登り始めたときには完全に夜道になっていました。
気づいたときには後ろには誰もおらず、最下位グループでした。
さらに悪いことに、晩秋だったこともあって、夜間に急激に気温が下がったせいもあるのでしょう、体調もおかしくなってきて、ゴールの峠に着いたときには頭痛に見舞われてふらふらの状態でした。
到着は夜22時くらいだったと思います。
遅くまで寒い峠で待ってくれていたスタッフの人たちには悪いことをしたと思います。
帰りの下り道は、登坂でかいた汗が冷たい空気で急激に冷えて、悪化する体調と相まって悪寒が止まらなかったのを憶えています。
そのあと2,3日は熱を出して寝込んでいました。
このイベントを境に自分にはもう自転車は無理だな、という思いが強くなりました。
でも知らない土地への旅行は続けたかったこともあり、自転車とは距離を置き、バイク乗りに転向することにしました。
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学生時代~サイクリング活動③ソロツアー
第102稿です。
今回は学生時代に自転車に乗って一人旅をした話です。
確か1年生の春休みだったと思います。九州に行くことにしました。
きっかけは何だったか憶えていません。
友人にクルマで大阪南港まで送ってもらい、夜中に出る別府行きのフェリーに乗りました。
翌朝別府に到着し下船し、さあこれから走ろう、と思った矢先に中年男性に声を掛けられました。
そしてその人の自宅まで行きました。
いま考えてもなぜついていったのか全く憶えていません。
その人は何だか催眠術を掛けたがっていてなぜか私は催眠術にかかったふりをしていました。 だんだん面倒くさくなってきたので「いい加減にしてください!」と言って跳びあがり家から出て行きました。 その人の狼狽した様子でしたので、そんなに悪い人ではなかったのかもしれません。
近くの公衆電話から地元の警察に一部始終を話をするも特に被害があったわけではないので警察にもまともに相手にされず、その出来事はそれで終わりました。
何とも不思議な体験でした。
子供に教えている通り「知らない人にはついていかないようにしましょう」ということでしょうね。
あるときは急坂を荷物を自転車で上っているときに通りがかりの年配の人に声を掛けられ、そのクルマに乗って近くの地方都市まで行ったこともありました。
3月の九州とは言っても山沿いだったのでまだかなり肌寒く、登坂している間に雪もちらついていました。
結構辛い上りでしたので渡りに船、という感じではありました。
その年配の方も私のことを少し可哀想に思ったのかもしれません。
着いたのは大分県竹田市という都市でしたが、恥ずかしながらそれまでその存在もよく知りませんでした。
聞いてみると小京都と呼ばれ、竹田城はいまは城跡しか残っていないものの非常に由緒正しい城であることを説明して貰いましたし、戦前の日本で軍神と崇められていた日露戦争の英雄、広瀬武夫中将の生まれ故郷であることも知りました。
こういう自分では知り得なかったことに出会えるのは旅ならではの収穫なのでしょう。
このときはその方の家に泊めて頂いていたのですが、そこを辞去したあと、あるときは橋の下でテントを張って泊まったりしたこともありました。
確か買い出しをするためにスーパーの位置を聞きに近くの消防署に行ったのですが、当直の消防団員の方に、「ひとりで自転車旅行ですか、いいですねえ」と羨ましがられたのを思い出します。
仕事人からすると気ままに自転車で一人旅というのは優雅に見えたことでしょう。
本人は毎日ヘトヘトになっていましたし、一人での旅というのも感動を分かち合える相手がいないので限界を感じていた部分もありましたが。。
いまのように携帯電話もスマートフォンもない時代でしたから、テントを張って中に籠れば漆黒の世界。
夜は日の入りとともに寝て朝は日の出と鳥のさえずりとともに起きる、という原始的な生活はいまではとても考えられません。
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学生時代~サイクリング活動②ツアー
第101稿です。
前回はサイクリング活動を始めたころの話をしました。
今回は少し実際のツアーの状況を紹介したいと思います。
初めてツアーに行ったのは同級生と連れだって行った天橋立でした。
平成元年のGWだったように思いますが正確には憶えていません。
自転車の横に括りつけたバッグに必要なものを格納して走行するというスタイルでした。
持ち物はキャンプ道具一式。
携帯用コンロ(ブスと呼ばれるホワイトガソリンを燃料にした火器でした)や飯盒、鍋、テントなどが基本装備でした。
ツアー期間の食事は基本的にはすべて自炊でした。
朝起きたら飯盒で昼の分まで米を炊き、朝は味噌汁、昼は缶詰をおかずに走行中の休憩時間に食事、夜は公園のようなテントの張れる場所を探して自炊する、といった生活が基本でした。
夕食のあとは食器洗いじゃんけんというのをやって、負けた人が食器を洗うことにしていたのも懐かしい想い出です。
油モノを扱った後の数人分の食器を洗うことになったときは結構辛かったですが。
旅先ではいろんな出会いがありました。
その中でもいまでも憶えているのがある若いお母さん。
天橋立近くを走行しているときに大雨に遭い、建物の軒下で雨宿りしていたら声を掛けられて、そのままお宅にお邪魔したように思います。
小さい子供さん(30年ほど前の話ですから既にその子供さんは30歳は超えているはずです)がいて、家の中で我々メンバーになついて遊んでいました。
その後、数か月経過したのちに、そのお母さんから部室に荷物が届いていたそうです。
ちょうど期間が夏休み中だったので、殆どのメンバーは出身地に帰省しており、たまたま夏休み中に部室を訪れた先輩が荷物を受け取ったそうです。
中はメロンだったそうです。
お世話になったのは雨宿りをさせて頂いた我々のほうでしたので、非常に申し訳ない思いを抱いたのを思い出します。
あのときどうして我々に声を掛けてくれたのかはわかりませんし、どういう思いでメロンまで送って下さったのかわかりません。
いまとなっては確認する手立てもありませんが、我々が子供の相手をしているときのお母さんの静かな笑顔はいまだに忘れられません。
こういうちょっとした出会いがあるのも旅の喜びなのかもしれません。
次回もしばらくツアーの話を続けたいと思います。
Photo by Dominika Roseclay on Pexels.com
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