四十で惑わず、五十にして天命を知る

~海外在住 中小企業診断士&FP1級技能士MASAのブログ~

2度目の転職~再び新しい世界へ~

第15稿です。

2000年代半ば。2度目の転職を考え始めました。

この経緯は過去の記事ご参照ください。 qye04202.hatenablog.com

当時34歳でした。

転職できる限界は35歳と言われていましたので、ぎりぎりの年齢だったことになります。

転職先としていろんな方向を考えました。

プラントの世界に魅力を感じ新卒で飛び込んだこともあり、出戻りも真剣に考えました。 その当時は自分がもともといた会社は業績が急回復し、ちょうどOBを広く受け入れていました。 何度も足を運んで、自分の元いた部署を始め、いろんな部署の方に話を伺ったりもしました。 ときには競合会社にも声を掛けて頂き、話を伺ったこともあります。

退職後も新聞でプラント業界のことを見つけると切り抜いてスクラップブックに貼っていたくらい思い入れがあったので自分の中では出戻りは大きな選択肢でした。

それは魅力的だったけれども、また自分の悪い思考癖が頭をもたげてきました。

このまま同じ世界に戻ったら自分の枠に収まるが、それではいまの自分以上になれないのではないか、という考え。

つまり身の程知らず、自分の積み上げたものを30代半ばにしてまたリセットしようというもの。 若気の至りだったと思いますが、リスクの高い考え方だったと今でも思います。

地元会社では輸出するときに商社を起用していました。 そこで出会う商社担当者の優秀さもさることながら、彼らの人間的な大きさ、幅の広さを目の当たりにしていました。 妻ももともとその商社にいて、彼女からも話をいろいろ聞いていましたので、急速にこの世界に非常に興味を持つようになりました。 でも商社というのは商売の会社。

当時営業部にいましたが、営業の駆け出し時代にいろんな失敗をしていました。(以下記事もご参照ください) qye04202.hatenablog.com

こういう経験から考えても、とても彼らのような優れた商売人にはなれっこないと思っていたし、自分に合う世界ともとても思えませんでした。でも興味はある、という不思議な心理状態でした。

転職を考えるにあたりいくつかのエージェントに登録していました。 その中の1社が実施した転職セミナーに出席した際に、ある商社の役員の人が壇上でこう言っていました。

「シベリアの大地を飛行機でふと見下ろしているときに、ああ、俺はこの仕事をやっていて良かったな、と思いました」

これだ、と自分の中に電撃が走ったのをいまも鮮明に憶えています。

冷静に考えると、自分がやっていて良かった、と思える仕事をしたい、というモードだったのでそういう言葉に反応したのだと思います。

驚いたことにエージェント経由でその商社から声がかかり、面接を受けることになりました。 自分の付き合ってきた商社とは違う会社だけど、商社業界はたぶん同じ、自分の見てきたすごい人たちの前で自分PRすることも何もないよなあ、と思い面接前に極度に緊張したのを思い出します。

蓋を開けてみれば、面接は殆ど雑談のような感じ。 あれよあれよの間に最終面接まで進み、採用していただけることになりました。

これには自分でもびっくりしました。

こうしてまたしても経歴をリセットし新しい道を進むことにしました。

ちょうど35歳の誕生日を迎えた直後でした。

次回からは、この転職を決意するにあたってのいろんな葛藤をお話ししたいと思います。

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